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ここは行きたい日本橋の観光スポット20選|デートや空き時間にもおすすめまとめサイト

日本橋観光スポット

日本橋の有名人気観光スポット|1〜5

人気その1|日本橋

日本橋の写真

江戸幕府が開かれた1603年に、それと同時に江戸の中心街のシンボルとして造られた日本橋。今も昔も多くの人が行き交う賑やかな場所として今日も華やいでいます。また物の行き来も昔から盛んで、現在でも物流や経済の中心として日本橋は大切な役割を果たしています。

現在の日本橋は1911年に木橋より石橋となりました。その大きさは全長51メートル・幅8メートルにものぼり、非常に大きな橋として街としての日本橋の中でもシンボルとなっています。

そんな日本橋の3つの見どころをご紹介します。

01-A 日本橋は5つの主要道路の始点である

日本橋は江戸時代に徳川家康のもとで行われた全国道路網整備計画によって主要道路の「東海道」、「甲州街道」、「奥州街道」、「日光街道」、「中山道」が通っています。
そしてこれはあまり知られていませんが、日本橋の橋の超ど真ん中に「道路元標」が埋められています。

01-B 日本橋の柱の揮毫の主は「徳川慶喜」

日本橋の四隅を見ると親柱が存在します。この親柱非常に立派なもので、それだけでも見ものです。しかしこの親柱をよく観察すると「日本橋」「にほんばし」と漢字表記の銘板とひらがな表記の銘板があることがわかるでしょう。こちらの銘板の揮毫は江戸幕府十五代目将軍の「徳川慶喜」公の直筆です。
歴史ある日本橋のルーツを感じることのできる非常に価値のある名盤となっています。

01-C 日本橋は東野圭吾の『麒麟の翼』のモデル

日本橋の橋の中心部には厳しい彫刻が施された街路灯があります。この街路灯には東方面と西の方面にそれぞれ背を向けあって立つ麒麟(きりん)の像がそびえ立っています。実はこの麒麟の像は、ドラマ化・映画化された「麒麟の翼」(NHK)のモデルとなっているものです。
日本橋は歴史を感じられる場所であるとともに、現代の映画の舞台の聖地としても隠れた人気があるスポットです。

住所:東京都中央区日本橋一丁目、日本橋室町一丁目
電話:03-3274-6263(名橋日本橋保存会)
URL:https://www.nihonbashi-meikyou.jp/hashiarai/

人気その2|三井本館

三井本館の写真


平成21年の6月5日には開館をして80周年という長い歴史を持つ三井本館。「三井本館」の名前の通り現在も三井不動産株式会社が所有している歴史的建造物です。

昭和4年の開館時には、日本の経済の中心として様々な財閥が集まり、経済発展の拠点としての役割を果たしました。その開館当時は三井合名会社、三井物産、現日本コークス工業、現中央三井信託銀行、現三井住友銀行などが入居していました。

その瀟洒な外観はアメリカのジェームズスチュアート社の設計によりギリシャ式の新古典主義建築で造られました。そのためコリント式の大柱に囲まれている見た目は壮麗です。

02-A 地下の大金庫の大きさ

「三井本館」の地下にはその銀行の役目としての名残として大きな金庫が所蔵されています。その大金庫の重量は50トン以上を誇り、金庫の壁の厚みで言えば、最も分厚い部分で「0.55m」の厚さがあります。また扉の直径は2.5mとかなり巨大。当時の三井本館の経済力がうかがい知れる遺物です。

02-B コリント式の大柱

上記でも紹介したアメリカ・ジェームズスチュアート社の設計によるギリシャ式の建築物「三井本館」。その建物を囲むように支えるコリント式の大柱は見た目だけでも壮麗であり、存在価値の高いものです。しかしその大柱による「三井本館」の頑強さは有名で、関東大震災の教訓を生かし、その地震の二倍以上の震度にも耐えられるようになっていることはあまり知られていません。

02-C 三井本館があった場所には、あの有名な呉服屋が

「三井本館」があった場所には、三井財閥の大元となった有名な呉服屋がありました。それが三井高利による「越後屋」です。

住所:東京都中央区日本橋室町2丁目1
電話:なし
URL:https://www.mitsuipr.com/about/facility/honkan.html

人気その3|貨幣博物館

貨幣博物館の写真

「日本銀行金融研究所貨幣博物館」は「銭幣館(せんべいかん)」とも呼ばれ、貨幣や関連資料を保管・展示しています。その収集物らは「銭幣館コレクション」と称され、世界的にも注目されている東洋の貨幣コレクションとなっています。

収蔵資料の一例としては「日本貨幣」(寛永通宝・絵銭・和同開珎など)、ベトナム・タイ・中国・挑戦などの「東アジア貨幣」、古地図、千両箱、米切手、財布、藩札の版木などがコレクションとして展示されています。

戦後に公開されたそれらのコレクションは「図録 日本の貨幣」(日本銀行調査局編、全11巻)にて書籍資料化されることとなりました。

03-A 「日本銀行金融研究所貨幣博物館」の所蔵資料の多くは田中啓文氏のもの

「日本銀行金融研究所貨幣博物館」にある様々な貨幣、特に古代から近代における日本の貨幣や東アジア・中国の貨幣、そして貨幣についての貴重な資料を数多く所蔵しています。そして驚くべきことにそのほとんどが「田中啓文」氏という1人の古貨幣収集家のコレクションだったのです。

03-B 田中啓文氏が「日本銀行金融研究所貨幣博物館」にコレクションを譲った理由

なぜ田中啓文氏が「日本銀行金融研究所貨幣博物館」にコレクションである古貨幣を寄贈したかはあまり知られていません。その理由とは第二次世界大戦でした。田中啓文氏は東京大空襲をはじめとする戦争の激化から自身のコレクションの焼失を避けようと日本銀行に寄贈をしたのです。

03-C GHQからの接収からコレクションを守った人物がいた

第二次世界大戦後、GHQによって日本銀行金融研究所貨幣博物館にある古貨幣収集物が雪舟の対象となりました。その際に古貨幣専門家である郡司勇夫氏が「文化財は自らの手で守り、活用していくべき」と伝え交渉を続け、接収から逃れることができました。

住所:東京都中央区日本橋本石町1-3-1(日本銀行分館内)
電話:03-3277-3037(直通)
URL:https://www.imes.boj.or.jp/cm/

人気その4|水天宮

水天宮の写真

 

安産祈祷などで今も多くの参詣客で賑わう日本橋・水天宮。他の自社仏閣とは一線を画したデザインが人気で、ビルのような外観の造りは周囲の建物と外壁が合体していることによる建築デザインのためです。

日本橋の水天宮はもともと九州の福岡県・久留米市にある水天宮から分霊されたお宮です。その頃は「おすいてぐさま」と庶民から慕われていました。また、こちらにはかの有名な運慶が彫ったと言われている御像が祀られていることでも有名です。

毎年五月五日には水天宮の例大祭が開催されており、その時ばかりは安産祈願の参詣客以外にも地元住民、県外から来た観光客などでとても賑やかになります。

04-A 水天宮が安産祈願として賑わう理由

水天宮が安産祈願の名所として今も人気を誇るのには理由があります。それは江戸時代にまで遡り、庶民の中でも難産に悩む女性には水天宮の「鈴の諸」が与えられるというしきたりがありました。
その「鈴の諸」を与えられることによって難産に苦しんでいた女性でも、痛みを伴わずに難産とならずに容易に出産ができたそうです。そのためには「鈴の諸」を大切に持っていることが重要でした。このような「鈴の諸」のしきたりから日本橋の水天宮は安産祈願の名所として多くの女性から慕われるようになったのです。

04-B 水天宮には七福神の1人「弁財天」が鎮座している

普段は扉が開かれていない社殿ですが、毎月五日と巳の日にはこの扉が開かれることとなっています。そしてその扉の奥には七福神の1人である「弁財天」の御像が祀られています。東京日本橋では年始に七福神巡りのお祭りもあり、この時期は毎日、弁財天を御目にかけることもできます。

住所:東京都中央区日本橋蛎殻町二丁目4番1号
電話:03-3666-7195
URL:http://www.suitengu.or.jp

人気その5|日本銀行本店

日本銀行の写真

「日本銀行本店 本館」は明治一五年に永代橋の近くで開業をしました。現在では東京駅のデザインでも有名な赤煉瓦つくりの建築は目にも鮮やかで当時から東京・日本橋のシンボルの一つとして華やいでいました。

開業当時はもちろん洗練された「日本銀行本店 本館」の内装を見ることなどできませんでしたが、現在では見学ツアーなどを行なっており、日本銀行の果たす役割や重要性が実感できるとしてとても好評を博しています。

05-A 二種類の代表的建築様式が混在した珍しい外観

「日本銀行本店 本館」は、一般的には「ネオ・バロック」様式の歴史的建造物として有名です。しかしこちらの建造物のイメージとして強い「石」の重厚な雰囲気を醸し出しているのは壁面などに施された「ルネサンス」様式の意匠です。この意匠はベルギーの様々な美しい建築物を参考にして作られたと言います。

05-B 建築に際しての内装へのこだわり

「日本銀行本店 本館」の外観へのこだわりについては見るだけでも十分に伝わってきますが、その内装への工夫も知れば知るほど面白いのです。イギリスのクラークバーネットが製造する「畳込防火鉄戸」が導入、つまりエレベーターが導入されています。またトイレについても当時としては珍しい水洗式を採用しているのでした。

05-C 近代建築として重要文化財指定の先駆けとなった

「日本銀行本店 本館」は、当時の日本の建築物で氾濫した洋風建築とは一線を画しています。日本独自でガラパゴス化的に醸成された近代西洋建築を採用され、単なる輸入文化ではない日本独自の設計が重要文化財として国から指定される大きな要因となりました。

住所:東京都中央区日本橋本石町2-1-1(所在地)
電話:03-3279-1111(代表)
URL:https://www.boj.or.jp

日本橋観光スポット

日本橋の有名人気観光スポット|6〜10

人気その6|警察博物館

警察博物館の写真


「警察博物館」は現在では「ポリスミュージアム」という名称でおなじみかもしれません。こちらの博物館では日本の警察の開祖以来の歴史から現代の歴史的価値のある資料などが展示され、閲覧することができます。

また「見て、学び、体験できる博物館」のキャッチフレーズの通り、様々な体験を通して警察官の生活を経験できる数少ない博物館施設となっています。

またこちらの「警察博物館」の建物は六階建てとなっており、各フロアごとに展示テーマが違います。一階では警視庁のキャラクター「ピーポくん」の展示物などが飾られる「ピーポくんホール」、二階は「人と街をともにまもる」を展示テーマとして東京都のジオラマとともに事故や犯罪対策を解説、三階では「事件・事故を解決する力」として実際に交番が設置されています。四階は「首都をまもる〜警視庁の今とこれから」という展示テーマで警視庁のグッズなどが模型付きで設置され、五階は「時代とともに〜警察の歩み」と称され明治時代からの警察制度の立ち上げに関する資料がおかれています。六階はイベントスペースとなっているためそのシーズンごとに様々な展示資料が置かれ、来場客を迎え入れています。

06-A 人気キャラクター「ピーポくん」のグッズが購入できる

警察庁の人気キャラクターである「ピーポくん」のグッズを入手することができる数少ない施設としてもこちらの博物館は人気を博しています。それも「お土産コーナー」ではなく、自販機で「ピーポくんグッズ」が販売されているのが面白いと話題になっています。

06-B 警察マニアには嬉しいマニアックな展示物

こちらの「警察博物館」では他の施設ではお目にかかれないマニアックな展示物が並べられていますが特に人気なのが制服の品揃え。警察庁立ち上げ以来の制服が全て並べられ、ほかにも儀礼服やカラーガード服、山岳救助服や水難救助服など普段お目にかかれない珍しい服が一挙に公開されています。

住所:東京都中央区京橋3-5-1
電話:03-3581-4321(警視庁代表)
URL:http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/about_mpd/welcome/welcome/index.html

人気その7|三井記念美術館

三井記念美術館の写真


昭和四十年に三井財閥が三井家として所有する経済資料・社会資料を保存するために設立された「財団法人三井文庫」が現在の三井記念美術館の前身でした。昭和六十年になり、貴重な文化財を一挙にまとめるため、そして公開・展示をするための施設として「財団法人三井文庫」は三井記念美術館となりました。

収蔵品の数々は江戸時代まで遡り、それ以来三百年以上も三井家により守られてきた貴重な文化遺産ばかりです。

07-A 国宝茶室「如庵」と三井家

国宝茶室である「如庵」が精巧に再現されたものが三井記念美術館には展示されています。こちらは江戸時代初期の茶人である織田有楽斎が建立したものです。三井家とこの「如庵」の関係は深く、明治時代に三井家に所有された頃から始まります。
その当時の三井家投手三井高棟は昭和十一年に国宝された「如庵」を神奈川県に移転しており、そのため戦災から逃れることもできました。

07-B 三井記念美術館の所蔵する美術品の多さ

三井記念美術館の収蔵品の多さは日本でも随一を誇り、切手類では十三万点以上、美術品では四千点以上という驚異の数を誇ります。そのうち重要美術品指定のものが四点、重要文化財指定のものが七十五点、国宝指定のものが六点となっています。

07-C 「戦国時代」好きにはたまらない所蔵物

こちらの三井記念美術館では石田三成が所有していたとされる「短刀 無銘正宗 名物日向政宗」や前田玄以が豊臣秀吉から与えられた「短刀 無銘貞宗 名物徳善院貞宗」などが展示されています。
いずれも歴史的人物の所有物だったということで、この短刀などを一眼見に来る観光客も多いということです。

住所:東京都中央区日本橋室町2丁目1番1号 三井本館7階
電話:03-5777-8600
URL:http://www.mitsui-museum.jp

人気その8|日本橋三越

日本橋三越の写真

平成二八年に国から重要文化財に指定された日本橋三越。ルネッサンス式建築の外観は厳しく、日本橋では名物の百貨店となっています。
歴史的な観点から高い評価を得ている日本橋三越ですが、もちろんショッピング施設としても素晴らしく、日本全国の三越百貨店の中でも別格とされています。


08-A 日本橋三越の守護神

日本橋三越の本館正面玄関には一対のライオン像が安置されています。実はこのライオン像が生まれたのは大正三年と非常に古く、昔よりこの日本橋三越を見守る守護神として愛されてきました。

このライオン像を作ったのは日本橋三越の基礎を作った日々翁助。イギリス・ロンドンにあるトラファルガーの獅子像を元にして、イギリスの彫刻家であるメリフィールド・バルトンの手によって製作されました。

08-B パイプオルガンの演奏が見もの

このパイプオルガンはオブジェとしても非常に美しく、日本橋三越を華やかにしていますが、いまでも一日に三度、金曜日・土曜日・日曜日に演奏を聴くことができます。

このパイプオルガンはアメリカの有名なパイプオルガンメーカーであるマイテー・ウェルリッツから昭和五年に購入をしました。その大きさは幅8.2メートルを誇る巨大なもので、電気演奏でメイン・ソロの二種類の非常に複雑な演奏を可能としています。

08-C 実は「三囲神社」がパワースポットとして人気

日本橋三越本館の屋上には「三囲神社」が設置されています。これは三井寺の僧侶・源慶が文和年間(1352-1356)の時代に隅田川の御堂に立ち寄ったことがきっかけで作られたとのことです。

住所:東京都中央区日本橋室町1-4-1
電話:03-3241-3311
URL:https://www.mitsukoshi.mistore.jp/nihombashi.html

人気その9|竺仙

竺仙の写真

1842年に創業した老舗呉服店「竺仙(ちくせん)」。現在では一般的な江戸小紋を日本各地に流行らせたのもこちらの「竺仙」です。元々は浅草に店舗を構えておりましたが、好評を博し百貨店や高級呉服専門店からの招集により現在の日本橋に居を構えることとなりました。

09-A 老舗呉服屋「竺仙(ちくせん)」の名前の由来が面白い

「老舗呉服屋 竺仙」の名前の由来は非常に趣深いです。嘉永六ねんに創業された染物屋の竺仙は、その時代としては非常に斬新で奇抜、風流明媚な小紋の浴衣を販売していました。

そんな竺仙の創業者である橋本仙之助は「ちんちくりんの仙之助」と呼ばれていたため、そのあだ名をそのまま取り、「ちんちくりん」の『ちく』と「橋本仙之助」の「仙」を使って「竺仙(ちくせん)」という屋号にしたということです。


09-B 老舗呉服屋「竺仙」の浴衣を遺した三代目・橋本軍治の熱意

大正十二年に起こった関東大震災は日本橋を含めて、東京・関東に大きな被害をもたらしました。その大災害が与えた被害にも当然、竺仙は巻き込まれることになりました。

関東大震災の被害によって竺仙の店舗も焼けてしまう中、三代目当主であった橋本軍治は自ら濛々と燃え盛る竺仙の店舗の中に行き、商品である浴衣の型紙が焼失する前に救出をしたという逸話があります。

現在でも竺仙の浴衣を私たちが着ることができるのは、この三代目当主・橋本軍治の熱意があったからこそなのです。

09-C 竺仙さろんが人気

老舗呉服店「竺仙」では定期的に「江戸文化の研究」「江戸っ子の美意識」をテーマに「竺仙さろん」を行なっています。こちらでは本格的に各江戸文化の研究者を呼んで研究会を行ったり、歌舞伎などの芸能文化を鑑賞することができます。

住所:東京都中央区日本橋小舟町2番3号
電話:03-5202-0991
URL:http://www.chikusen.co.jp

人気その10|小津和紙本店ギャラリー

小津和紙ギャラリーの写真

小津和紙とは小津商店(東京都・中央区・日本橋)が運営する和紙部門の名称であり、今回ご紹介する「小津和紙本店ギャラリー」とは、小津商店本店内に設営されている展示会、展示スペースのことです。

こちらの「小津和紙本店ギャラリー」では、和紙の展示以外にも風光明媚な絵画や伝統的な書道作品、可愛らしいちぎり絵の展覧会などが一週間単位程度で開催されており、多種多様なジャンルの芸術品のギャラリーを楽しむことができます。

近年ではユネスコ無形文化遺産の登録が決定した「本美濃紙(ほんみのし)」の展示会が「小津和紙本店ギャラリー」で開催され、人気を博しました。

10-A 小津和紙でできること

小津和紙は日本全国各地の和紙の魅力や日本の伝統文化について構成に伝えていくことをコンセプトに置いた文化拠点です。そのため全国の和紙、書道容姿、楮紙や三椏紙、雁皮紙、竹紙などを中心とした手すき和紙、小物などの購入をすることができます。

ギャラリーはもちろん、小津文化教室では書道・水墨画・ちぎり絵などの教室を開講しており体験講座で一日だけ学ぶことも。そのほかにも手漉き和紙を作ることなども可能です。

10-B 小津和紙本店の成り立ち

「小津和紙本店ギャラリー」のある小津和紙本店は一六九八年に大伝馬町にて木綿店として創業したのが始まりでした。それから二百年後、東京洋紙会社の事業引受をし、「小津洋紙店」に商号を変更することに。そんなきっかけから紙業界に進出した小津和紙本店は和紙部門を扱うこととなりました。

10-C 小津和紙本店ギャラリーに訪れたら行くべき「小津資料館」

「小津和紙本店ギャラリー」に訪れたら「小津資料館」をぜひ覗いてください。こちらには「小津和紙」創業者の清左衛門長弘の時代から残る「紙」や「小津」に関する歴史的展示品が数多く公開されています。

住所:東京都中央区日本橋本町3-6-2 小津本館ビル
電話:03-3663-8788
URL:http://www.ozuwashi.net

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日本橋観光スポット

日本橋の有名人気観光スポット|11〜15

人気その11|人形町・甘酒横丁

甘酒横丁の写真

下町の情緒あふれる街並みがそのまま残る人形町の甘酒横丁。テレビでよく扱われることで有名になりましたが、その場所は意外と知られていません。地下鉄人形町の「A1」から駅を出ると明治座の方面に広がる風情のある店並びが見えればそれが甘酒横丁です。

その中には卵焼きや人形焼、銀杏がんもどきやたい焼きなど、東京・日本橋の古きよきグルメを堪能できるのが人形町・甘酒横丁の魅力です。

11-A 「甘粕横丁」の名前の由来

知名度の割に意外と知られていない人形町・甘酒横丁の名前の由来。これは明治時代ごろにあった「尾張屋」というお店が由来となっています。この「尾張屋」は今の甘酒横丁の入り口の近くの甘酒屋で、それを目印に地元の人々が中心となって「甘酒横丁」と呼ぶようになりました。

11-B 甘酒横丁でおすすめのお店

たくさんの魅力的な老舗飲食店の立ち並ぶ人形町・甘酒横丁ですがこちらではその中の一店をご紹介します。

それがたい焼き屋の「柳家」です。こちらのたい焼き屋は東京のたい焼き屋御三家に数えられる非常に人気なお店です。

あずきは北海道・十勝で生産され、こちらの柳屋であんこを自家製で作っています。明治座の役者の間では差し入れとしても人気で、一度に二十個、三十個と購入していくお客様もいらっしゃいます。

11-C 甘酒横丁に訪れた際には「明治座」「水天宮」まで

人形町・甘酒横丁を訪れた際には近くに明治座や水天宮といった観光名所があります。特に水天宮は近年、本宮のお建て替えが完了し、壮麗な姿にて本宮を望むこともできます。日帰りコースではちょうど良い甘酒横丁・明治座・水天宮巡りはいかがでしょうか。

住所:東京都中央区日本橋人形町1丁目17
電話:03-3666-7662(甘酒横丁商店会)
URL:http://amazakeyokocho.jp

人気その12|東京証券取引所

東京証券取引所

「東証(とうしょう)」の名前でよく知られるのが「東京証券取引所」です。「大阪証券取引所」とともに「東京証券取引所」を傘下に入れるのが「日本取引所グループ」。

この「東京証券取引所」のある日本橋・兜町は観光名所といったイメージがあまりないかもしれませんがその歴史を追うと意外と面白い町であることがわかります。

この「東京証券取引所」は現在、兜町のランドマークとして有名です。現在の建物は一度建て替えられており、1988年に建造されたものです。台形のような形をしている建物は兜町に訪れたことがある方なら見た覚えがあるのではないでしょうか。


12-A 東京証券取引所の見学ツアー

あまり知られていませんが「東京証券取引所」では、その知られざる内側を見学するツアーを行っています。入場料は無料で、大体一時間半程度の内部見学をすることができます。

内部には証券史料が展示されたスペースや横山大観が描いた「日の出」という「株式投資」にはぴったりの絵画があります。他にも東京証券取引所でしか入手することができないお土産コーナーなどもありますのでおすすめです。

12-B 株式投資の体験コーナー

東京証券取引所では株式投資の体験をすることができます。仮想の経済動向を見ながら株を売買していくのは株式投資のいい勉強にもなりそうです。

また同じくして株式投資ではおなじみのマーケットセンターなどを見学することもできます。テレビなどでよく見られる円柱型のモニターは見ものです。

12-C 東京証券取引所の土地はもともと砂州・池

現在では証券・金融の街としての認識を深められる日本橋・兜町ですがそれは明治時代からの話です。江戸時代には今の「東京証券取引所」があった場所はカヤやススキが生い茂っている砂地や池でした。

それを江戸幕府の初代将軍・徳川家康が江戸城の城下町を作る目的で埋め立て、軍事拠点として水軍や武家屋敷などを多く配置するようになりました。現在東京証券取引所のある日本橋・兜町はそのようなきっかけで発展することとなったのです。

住所:東京都中央区日本橋兜町2-1
電話:03-3666-0141
URL:https://www.jpx.co.jp/corporate/jpx-profile/tse/index.html

人気その13|匠大塚日本橋ショールーム

匠大塚日本橋ショールームの写真

「匠大塚」の取り扱っている18,000点以上の厳選された家具などの商品の中から、匠大塚のプロフェッショナル達が上質なインテリア空間を提案しているのが「匠大塚日本橋ショールーム」です。

東京日本橋タワーの七階が「匠大塚日本橋」のエントランスとなっており、こちらではコミュニケーションスペースなどが設けられています。このフロアではインテリアの相談などを行うことができます。

また25階は「匠大塚日本橋」のインテリアフロアとなっており、「確かな価値との出会い」をテーマに様々な価格帯の家具・商品が取り揃えられています。

13-A カフェとしてもくつろげる「匠大塚日本橋」のショールーム

最近、増床されたばかりの七階エントランスフロアにはカフェ・Tully’sなどもあり、知る人ぞ知るカフェのようなスペースとなっています。またコミュニケーションスペースではドリンクなどのサービスもあり寛げる空間が広がっています。

13-B コーディネーターが選定してくれる魅力的な家具

「匠大塚日本橋」のショールームではインテリア・コーディネーターが希望の家具などを選定してくれます。また好きな板材からテーブルトップを作ってくれるという驚きのサービスまであります。

13-C リーズナブルに購入できる家具も

「匠大塚日本橋」で扱われている日本の家具のメーカー製品は割とリーズナブルなプロダクトもあります。こちらでは好きなパーツを組み合わせ、色のチョイスまですることができます。

家具を購入する際に困るのは「家と合う色の家具がない」というところ。そんな悩みを解決できるのが「匠大塚日本橋ショールーム」ならではです。

住所:東京都中央区日本橋2丁目7番1号東京日本橋タワー 7階, 25階
電話:03-6262-5574
URL:https://www.takumi-otsuka.jp/tn/

人気その14|日本橋木屋

日本橋木屋の写真

日本橋木屋(きや)は、包丁などを中心とした刃物などの金物の製造・販売を行う老舗の金物屋です。江戸時代に創業を果たし、「刃物の木屋」と呼ばれて、庶民から親しまれていました。

昭和三十一年に発売された洋包丁・料理バサミの「エーデルワイス」や明治に商標の登録をされた和包丁・鰹節削り器・毛抜きなどの「團十郎」は刃物を扱う業界にとっては非常に人気の商品となっています。

14-A 豊臣家と徳川家から引っ張りだこの日本橋木屋

日本橋木屋の創業者である初代・林九兵衛は天正元年に大阪にて薬商売を始め、豊臣秀吉の御用薬種商を担っていました。しかし大坂夏の陣で豊臣家が敗れたのち、徳川家康により江戸にその店を移されることとなりました。その召集がきっかけで日本橋木屋が東京での商売を始めることになったのはあまり知られていません。

14-B 現在の日本橋に移転したきっかけ

また江戸に来てからは本町での商いをしており、現在の場所にはまだ店を構えていませんでした。しかし元和七年に江戸幕府二代目将軍の徳川秀忠が店前を通りかかった際に秀忠の鷹が店内に入り、それがきっかけで木屋は鷹を貰い受けました。しかしこの鷹の飼育費用が高かったため、鷹狩をしなくてもいい現在地に居を構えたということです。

14-C 木屋の名前の由来

この日本橋木屋の名前の由来が非常に面白いのですが、あまり知られていません。この「木屋」というのはもともと大阪で商売をしていた林久兵衛の家で徳川家康の声かけにより江戸と大阪に家を分かつ際に、「林」の字を二つに分け、薬物商の「木屋」と刃物商の「木屋」となったのです。

住所:東京都中央区日本橋室町2-2-1コレド室町1F
電話:03-3241-0110
URL:http://www.kiya-hamono.co.jp

人気その15|福徳神社

福徳神社の写真

福徳神社は、日本橋でも人気のショッピング施設「コレド室町」のすぐ隣に位置しています。その神社の名前からも非常に縁起が良く、福が授かりそうな雰囲気がじわじわと人気を上昇させています。

また御朱印を授けられる日は限られており、その「御朱印授与」の日には大変な混み合いを見せるほどには全国各地から参詣に訪れる観光客・参拝客が多いのです。


15-A 宝くじのご利益が得られる

福徳神社のお賽銭箱の隣には、「福徳神社の鈴」が置かれています。この鈴を鳴らすことで鈴払いをすることができ、良運が集まってくると言われています。特にこの「鈴払い」を目的として参詣する客の多くは「宝くじが当たる」と聞いて訪れる人が多く、それだけのご利益を期待することができます。

またこちらの福徳神社は江戸時代に江戸幕府より直々に「富くじ」、つまり現在の宝くじの販売を許されていた自社仏閣の一つであり、「宝くじ」との縁が深い神社なのです。

15-B ほかにもたくさんのご利益がある

福徳神社はその名の通り、「福」や「徳」が授けられる非常に縁起のよい神社です。こちらの神社で得られるご利益は「勝負運」、「旅の安全」、「良縁」などがあり、実際にその効力があったとの声が多いのです。

15-C 江戸幕府とのゆかり

江戸幕府の開祖・徳川家康や二代目将軍である徳川秀忠が初詣をしたことでも有名な福徳神社。徳川家・江戸幕府とのゆかりがたいへん深い神社です。二代目将軍徳川秀忠が参拝した日鳥居には新芽が芽吹いたという言い伝えがあり、「芽吹稲荷」との愛称でも呼ばれています。

住所:東京都中央区日本橋室町2-4-14
電話:03-3276-3550
URL:https://mebuki.jp

日本橋観光スポット

日本橋の有名人気観光スポット|16〜20

人気その16|日本橋クルーズ

日本橋クルーズの写真

日本橋には、「日本橋川」をはじめとして「隅田川」「神田川」など様々な川があります。「日本橋クルーズ」では日本橋川のクルーズをしながら名橋日本橋や日本橋川に架けられている橋の中では最大級の大きさの江戸橋を下から望むことが出来ます。また日本橋クルーズ日本橋川ルートを通る際、江戸橋の下を通るタイミングで潮位によっては橋下に触れられるほどに接近することもあり、スリルがあります。

16-A 日本橋クルーズの隅田川方面コースの見どころ

日本橋クルーズで隅田川方面のコースに行かれる際は是非、「清洲橋」にご注目ください。こちらは永代橋とともに関東大震災で崩れ、その後の震災復興事業にて復旧された名橋です。ドイツにあるつり橋をモチーフにしてデザインされており、2007年には重要文化財として国から指定を受けています。

また清洲橋を下から覗くと色あざやかな鉄骨を発見することが出来ます。ナイトクルーズでは街並みが非常に美しいので隅田川方面コースはオススメです。


16-B 日本橋クルーズの東京湾方面コースの見どころ

日本橋クルーズで東京湾方面コースに行くと見られるのが「中央大橋」です。これは中央区の新川と佃を結ぶたいへん大きな橋になっています。また中央大橋の真ん中にはクルーズ線からでも石像が見られます。これは隅田川とセーヌ川の河川協定の記念でフランスのパリから寄贈されたものなのです。

16-C 日本橋船着き場も観光名所に

現在二十代目となる日本橋ですが、2011年には合わせて100周年となりました。それを記念して現在の日本橋は作られたのですが、まだ木造だった頃の初代日本橋にあった擬宝珠(ぎぼし)のレプリカが設置されています。一年間で五万人以上の観光客が訪れ、2016年には三十万人の利用者を突破したという日本橋船着き場はとてもおすすめの観光スポットです。

住所:東京都中央区日本橋1丁目9番地先(乗船場所)
電話::03-5679-7311
URL:http://ss3.jp/nihonbashi-cruise/

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人気その17|”だしBar"日本橋だし場

日本橋だし場

「”だしBar”日本橋だし場」をプロデュースするのが、かの有名な株式会社にんべんです。株式会社にんべんの創業の地である日本橋で日本の伝統的食材である発酵食品「かつおぶし」を後世に伝え、世界中に「だしの魅力」を発信していくことが「”だしBar”日本橋だし場」のスタート地点だと言います。

また「”だしBar”日本橋だし場」では本枯かつおぶし削りの実演販売、「一汁一飯」のコンセプトのもと提供されるメニューが大人気となっています。

17-A 「”だしBar”日本橋だし場」のおすすめメニュー

「”だしBar”日本橋だし場」のおすすめメニューをいくつかご紹介しましょう。一番人気なのは「かつお節だし/かつお・昆布合わせだし」(100円)です。スープ感覚で飲めるかつおと昆布の合わせダシがきいた汁は非常に美味しいです。また意外にも美味しいのが「かつお角煮まん」(200円)です。甘辛い醤油味が大人気で、冬季になると多くのお客様が買い求めになるとのことです。

17-B 「”だしBar”日本橋だし場」はお土産品もおすすめ

東京旅行に行くと悩むのが「東京土産」です。そこで「”だしBar”日本橋だし場」の自慢の商品はお土産として貰うと使いやすいのが好評を博しています。「つゆの素」や「削り節」はオーソドックスに人気で、だしのフレッシュパックなどもお土産としてもらうと喜ばれます。

17-C 株式会社にんべんの原点

江戸時代、元禄12年(1699年)に塩干類やかつおぶしなどを板の上に並べて売り出したのが株式会社にんべんの始まりでした。現在では300年以上の歴史を誇る老舗出汁メーカーですが、商売を始めた日本橋という原点にこだわり、だし作りを続けているのが日本を代表する「出汁メーカー」となった理由の一つかもしれません。

住所:東京都中央区日本橋室町2-2-1 COREDO室町1・1階
電話:03-3241-0968
URL:https://www.ninben.co.jp/honten/

人気その18|榛原

榛原の写真

文化三年(1806年)創業の日本橋・和紙製造・販売メーカー「榛原(はいばら)」。日本橋の店舗は非常に美しく2016年にはグッドデザイン賞の受賞をしています。現在でも上質の和紙を作るために三河土を使った土練や瓦職人による成形で本格的に和紙作成を行っています。

また榛原の店舗の外観はそれだけで観光名所のようなもので、色硝子をイメージして作られたひし形文様のスタイリッシュな建造物壁面が日光や夜間のライトアップによって美しく輝きます。


18-A 世界各国のジャポニズムの功労者「榛原」

江戸時代末期から明治時代にかけては各国の博覧会にて灰原は和紙を欧米諸国に流通させる努力をしました。その中でウィーン万国博覧会(1873)、パリ万国博覧会(1878)、シドニー万国博覧会(1879)、 バルセロナ万国博覧会(1888)にて褒賞を授与するなど海外に日本文化の象徴の一つである和紙を知らしめるきっかけを作りました。

18-B 明治の文明開化・西欧化の功労者でもある「榛原」

一方で国内では積極的に西洋紙の流通に努めたのも灰原でした。これは明治期の文明開化の流れを早期から汲み取り行ったという榛原の伝統文化だけではない革新へのポリシーの現れでした。榛原の明治時代の店舗の看板に「西洋紙品々」といった言葉が掲げられている店構えが見られます。

18-C 「榛原」のお客様は皇室からロックスターまで

信頼と実績を持つ和紙メーカー・販売元の榛原では様々な顧客とのやりとりがありますが、昭和時代からは宮内省工務課からの依頼で東宮御所の部屋の壁紙のデザイン発注を受け、納品や施工を行っていました。また明治宮殿を設営する際には内装や晩餐会のメニューの作成を請け負っていました。一方で、有名なイギリスのロックバンド「クイーン」が自宅に日本文化を取り入れた壁紙を選びに榛原を訪れるなどのこともありました。

住所:東京都中央区日本橋2-7-1東京日本橋タワー
電話:03-3272-3801
URL:https://www.haibara.co.jp

人気その19|丸善日本橋店

丸善日本橋店の写真

明治3年3月に現在の日本橋の地に誕生した丸善日本橋店は、全国に展開している丸善書店の中でも象徴的な存在です。現在の丸善日本橋店の建物は2007年にリニューアルオープンしたものですが、昔から人気の高級文具コーナーや品揃えの良い洋書。もちろんハードカバー、文庫なども充実しており、三階のカフェでは丸善発祥と言われる「ハヤシライス」などをいただくことができます。

19-A 「丸善書店」が始まったのは福沢諭吉の「すすめ」

丸善書店の創業者である早矢仕有的(はやし・ゆうてき)は福沢諭吉の私塾、後の慶應義塾に入学をしました。その際に早矢仕有的の実業や経営に対する才能に気づいた福沢諭吉は丸善書店の前身となる「丸屋商社」を創業することを進めるだけでなくバックアップしました。今も「丸善書店」が大切にしている創業時の会社設立趣意書「丸屋商社之記」には福沢諭吉の思想が影響していると言われています。

19-B 「丸善日本橋店」は時代の先駆けとして常に新しいものを取り入れてきた

昭和43年(1910)に作られた「丸善日本橋店」は赤レンガで作られ、日本初の鉄骨建築でした。また当時としては珍しいエレベーターを先駆けて取り入れています。また昭和27年(1952)には戦後、東京では初めての鉄筋ビルを落成させました。他にも1800年代には本以外のコンデンスミルク・リキュール・ウスターソースなど海外の文化を次々と取り入れていきました。

19-C 「丸善日本橋店」はギャラリーとしても楽しめる

あまり知られていませんが、丸善日本橋店にはギャラリーがあります。昔から梶井基次郎、芥川龍之介や夏目漱石など多くの文豪に愛されてきた丸善書店では、文豪展や水木しげる、ミュシャなど幅広い作家・著名人などの展示会を楽しむことが出来ます。

住所:東京都中央区日本橋2-3-10
電話:03-6214-2001
URL:https://www.maruzenjunkudo.co.jp/maruzen/top.html

人気その20|日本橋高島屋

日本橋高島屋の写真

その瀟洒な建物が評価され、国の重要文化財にも指定されている日本橋高島屋。設計は明治の有名建築家である高橋貞太郎で、明治時代の文明開化や西欧文化の潮流を反映させ、和洋折衷のデザインを施されたのが現在にも残る日本高島屋のビルです。


20-A 屋上の庭園が隠れ癒しスポット

日本橋高島屋の屋上には、隠れスポットとして有名な屋上庭園があります。こちらの庭園はカフェが併設されており、ドリンクを片手に華やかな花壇や水池を眺めながらベンチで一息つけるスペースとなっています。

人混みがなく、東京・日本橋の真ん中にいるということを忘れてしまいそうになる程静かな空間なのでたいへんおすすめです。

20-B 日本橋高島屋ショッピングセンターがオープン

2018年9月に日本橋高島屋が「日本橋高島屋S.C.(ショッピングセンター)」となりました。雑貨店、ファッションショップやコスメショップ、レストランや食料品店などの専門店が軒を連ねます。

「日本橋高島屋S.C.」は「美しい暮らしスタイルを発信する店」をテーマに生活の質を上げられるようなプロダクトをお客様に提供していくということで、非常に賑わいを見せています。


20-C 日本橋高島屋で歴史探訪

上記でも「国の重要文化財に指定」ということをご紹介しましたが、内装がたいへん魅力的です。創業当時から働き続ける主導のエレベーターや中二階の階段の壁面にはアンモナイトの化石が隠れています。

百貨店としての日本橋高島屋も素晴らしいですが、歴史ツアーを目的にした見学もまた趣深いものとなるでしょう。

住所:東京都中央区日本橋2-4-1
電話:03-3211-4111
URL:https://www.takashimaya.co.jp/nihombashi/departmentstore/index.html

 

 

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